子守学級

より多くの女児に就学の機会を得させるために各地の学校でおこなわれたのが子守学級であった。明治四二年から尋常科三年以上の女子児童で子守をしながら登校せざるを得ない者を対象に、子守学級を編成したが翌四三年五月、乳児への授乳の必要性や子守のため体操ができないなどの理由等をあげて、教授時数の増減を県知事あてに稟請し許可を求めたのである。一週二八時間の授業日数を、三、四年生は二一時間、五、六年生については二四時間として、体操は欠課にして、国語、算術、唱歌などその他の教科についても、増減するなどの処置を行なうとしたのである。子守学級は本校及び分教場に各一学級ずつ設けられていた。分教場には男子の子守学級も登校している。こうして就学と出席率の向上を奨励したことで、教育の必要性を強く認識させることになったのである。

子守学級