放火大火

明治四〇年一〇月一日、火災保険を得るための放火によって瞬く間に、二〇九戸が焼失した。このときもまた政之丈大火のときにもまさる同情の寄贈金品が四方から寄せられ、近郷各小学校から罹災児童に贈られた学用品は多大であったという。六年足らずで再び焼け野原と化した街中に立った罹災者の悲嘆は想像に余りあるところだが、それでも復旧へと再建への希望を捨てなかった。この大火で村有建物である校舎をはじめ、村役場までも焼失した。このため生徒の低学年は避病院で、四年生以上の高等科は寺で授業を開始した。この大火による再建に要した費用は、当時、物価の安かった時代でも、校舎建築に一万円、役場建築には二千円を投じ、しかも多額の借金を背負わなければならなかった。

放火大火