大野町は昔から火事の多いところといわれ、明治時代には六回もあった。それは消防組という組織と設備がなかったことと、火に対する一般の注意力が足りなかったのが大きな原因である。当時の新聞によって二つの大火について述べる。政之丈火事、明治三四年火元は湯屋で土手下の中小路で、湯屋の煙突の媒煙から発生した火事である。昼火事であり、当日は市日でてったからその混雑は想像以上のものであった。家人が発見して救いを他に求めた時はすでに全家は火につつまれて、瞬く間に付近に延焼し、消防ににかけつけても水利は不便であり、東方の強風にあおられ、中路地、中町、下町、二の長、諏訪町を焼き付くし、ようやく諏訪神社境内の空き地で止まった。この火災により役場、郵便局、駐在所などが焼失し全町焦土と化した。戸数の半数以上を焼失したのである。火事現場は狭いため、せっかく持ち出した家財道具も西方風下に出した物は、たいてい焼失した。損害は約二万円で、そのほかに市日であったから行商が多数入り込み、商品を路上で並べて売っていたところ、突然の火事で混雑し商品を収めて救難を逃れるに際し、こわれたり紛失した損害も大きかったらしい。