政府は明治九年、道路等級を廃止して、新たに国道、県道、里道各三等の等級を定めた。県は明治一二年に、国や県からも費用が支出され、維持改修する国道と県道を指定した。当時の新聞の道路事情について、本港より遠くも有らぬ大野駅より内野駅への近道にして、最も便利なる道なれども、雪消えの候など泥濘深く、おうとつのみにて事に道幅も狭ければ、馬車はいうまでもなく草鞋足にても歩行に悩む所ゆえ通行人の困難も一方ならば早く修繕を加へて貰いたいものと、されている。二ケ村の道路は、従前より険悪の場所のみ多かりしが、本年は非常の水害方々にて一層道幅を狭め、おうとつを生じ、夏季に際すれば一面に草生い茂り、貂の道も三舎を恐れて尻込みする程なるは未だよろしけれど、道の真中に藁や塵芥やら糞桶やら滅茶苦茶に取ちらしているので、通行人の迷惑も少なからず、されども土地の戸長や豪農は該路を従来しながらも、修繕などさっぱり気の付かざるは、世間へ対し外聞が好いと思って居らるか知れん・・・と報じており、村道は狭く、路上にはゴミや糞尿桶が散らかっており、まだ道路が整備されていないことがわかる。