商 店

明治期にどんな商店がどこにあるかというと、主な商店は、反物屋、和洋小物商、米穀商などであり、七区に集中していることがわかる。大正二年刊行の郡案内に営業税一五円以上の納付者が記載されている。大野で営業している人ばかりである。その業種をみると、米穀商四人、荒物商三人、請負商三人、呉服太物商三人、穀物商二人、菓子商二人、乾物商、石材商、料理屋、木材商、酒販醤油商、醤油米穀商、薬種商、肥料商各一人である。料理屋が二軒あり、箱田屋は宿屋も兼ねていた。芸妓も数名いたらしい。その外に下駄屋、舟大工、染物屋、桶屋、酒造家などもあった。風呂屋は新田町と七区に二軒が営業していたが明治三四年の大野大火の火元のため廃業した。明治二八年の記録によると大野は戸数僅かに五、六百で商業のみでは生計を営むことが困難であるため、七、八年前より養蚕業をおこない年々事業を拡張してきた。同地で蚕を飼っているのは十五、六名であるとあり、この記事から明治中ごろ町で養蚕業が行なわれてきたことがわかる。この養蚕業は難儀する割合に収入が少ないということで、大半は大正末期頃やめている。

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