大野は信濃川と中之口川の合流点に位置し、江戸時代からの運搬の要地であり、六斎市も開かれ交易の場、物資の集散地として栄えた。各家とも間口が狭く奥行きが長くなっている。これは、江戸時代に町場に課せられる年貢は地子と呼ばれ、奥行きに関係なく屋敷地間口に応じて賦課されていたからである。地子の制度は前迷した明治六年の地租改正により廃止された。更正図には諏訪神社の前に、ひょうたんの形をした大きな池が記されている。言い伝えによると、明治元年に小沼堤防が決壊した際の、水戸口あとであるといわれている。池は昭和三九年ころ埋め立てられ消滅した。三番町に前述した川蒸気船の舟付場があり、その小路を通称蒸気場小路と呼んでいた。大野の街道沿いの町屋には、前側に三尺ぐらいのひさしがあり、ガンギ式の狭い歩道があった。今でも旧国道沿いの古い家に残っている。